「ALWAYS 三丁目の夕日」や「寄生獣」などの映画監督で、2023年には「ゴジラ-1.0」の監督としても話題になった山崎貴さん。
今までも様々な代表作を世に生み出していますよね!
映画監督をしたり脚本を考えるのって、普通の人にはなかなかできません。これだけ有名な作品となれば尚更ですよね!
「山崎貴さんって小さい頃から頭がいいのだろうか?」
「山崎さんのような有名な映画監督とか脚本家は、どんな学校に通っていたの?」
このような疑問が浮かんできます。
今回はそんな疑問にお答えすべく、山崎貴さんの学歴について調べてみました。
調べてみると、妻であり映画監督の佐藤嗣麻子さんも同じ学校に通われていたことがわかりました!
山崎貴のプロフィール
- 名前:山崎 貴(やまざき たかし)
- 生年月日:1964年6月12日
- 年齢:59歳
- 身長:180cm
- 出身:長野県松本市
- 職業:映画監督、脚本家、VFX制作者
- 所属会社:株式会社「白組」
- デビュー作: 「ジュブナイル」(2000年)
- 「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ
- 「永遠の0」「寄生獣」シリーズ
- 「永遠の0」
- 「STAND BY ME ドラえもん」
- 「ルパン三世 THE FIRST」
- 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」
- 「ゴジラ-1.0」
- 「バンプ・オブ・チキン」のPV
- 「味の素」のCM
13歳の時に『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』に出会い、特撮の仕事を志すようになったそうです。
専門学校卒業後、1986年に株式会社白組に入社して、CMや映画でのミニチュア製作を担当。その後、2000年に「ジュブナイル」で映画監督としてのデビューを果たし、
2005年には「ALWAYS 三丁目の夕日」で第30回報知映画賞で最優作品賞、日本アカデミー賞の監督賞を受賞しています。
そこからは数々の有名作品を生み出しています。
映画監督としてのイメージが強い山崎貴さんですが、テレビCMやバンプ・オブ・チキンのPVの監督もされるなど、多岐に渡って活動をされています。
山崎貴の学歴|小学校・中学校・高校・専門学校
山崎貴の通っていた小学校
山崎貴の通っていた小学校は公表されていません。
なので、通っていた中学や出身地から予測してみたいと思います。
山崎貴さんは長野県松本市が出身地となっており、中学校は公立の松本市立清水中学校を卒業しています。
中学校は地元の公立の学校を卒業しているため、小学校も地元の公立の学校だった可能性が高いと思います。
そして、松本市立清水中学校の学区となる小学校が以下の2つになります。
・源池小学校
・清水小学校
つまり、このどちらかの小学校に通っていた可能性が高いと思われます。
山崎貴の通っていた中学校
山崎貴さんの通っていた中学校は…
松本市立清水中学校
プロフィールにもあったように、山崎貴さんは13歳のときに映画や特撮に興味を持ち始めています。13歳ということは、中学校1年生〜2年生の頃ですよね。
そして、中学校3年生の頃からすでに映画を撮り始めていたそうです。
この行動力、すごいですよね!
現在ではインターネットで調べたり、スマホで動画を撮影することは簡単になっていますが、45年以上も前となると、携帯電話やパソコンは普通の家にあるものではありませんし、もちろんインターネットで調べたりなんかもできません。
どのように調べて、実行したのかは気になりますが、とにかく思い立ってから行動に起こすまでは子供の頃から早かったのでしょう。
山崎貴の通っていた高校
長野県松本県ヶ丘高等学校
偏差値::62(普通科)、61(研究科)
長野県松本県ヶ丘高等学校は、「まつもとあがたがおかこうとうがっこう」と読みます。公立高校です。
偏差値は61−62と長野県の中でもトップクラスに高い偏差値があります。
中学3年生から映画を撮り始めているため、映画撮影の活動もしながら受験勉強もされていたのでしょう。
映画監督をしたり、脚本を書くには地頭が良くないと書けないような気がしますが、山崎貴さんもこれだけいい高校を卒業されてますし、きっと小さい頃から頭が良かったんでしょうね!
山崎貴の通っていた専門学校
阿佐ヶ谷美術専門学校
阿佐ヶ谷美術専門学校は東京都杉並区にある美術の専門学校を卒業されています。
きっと高校に通いながらも映画のことを考えていたんでしょうね!
長野県の場合、あまり美術系の専門学校は多くないので、東京に来られたんでしょう。
デザイン学科
コンテンツ学科
アート学科
学校には上記のような3つの学科があり、山崎貴さんはコンテンツ学科に通われていました。
阿佐ヶ谷美術専門学校に通っているときに、株式会社「白組」でアルバイトをされており、そのまま卒業後に所属したという形になっています。
妻の佐藤嗣麻子も映画監督で同じ学校に通っていた
山崎貴さんの妻である佐藤嗣麻子さんも映画監督をされています。
そして、通っていた専門学校が阿佐ヶ谷美術専門学校です。
2人は専門学校で出会い、長い交際期間を経て2012年にご結婚されています。
出身地: 岩手県水沢市(現・奥州市)
- 佐藤 嗣麻子(さとう しまこ)
- 生年月日:1964年
- 年齢:59歳
- 出身:岩手県水沢市(現・奥州市)
- 職業: 映画・ドラマ脚本家、映画監督、ドラマ演出家
- 出身高校:岩手県立水沢高等学校
【ドラマ】
- 「YASHA-夜叉-」
- 「恋におちたら〜僕の成功の秘密〜」
- 「アンフェア」シリーズ
【映画】
- 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」
- 「アンフェア」シリーズ
- 「陰陽師0」
佐藤嗣麻子さんも山崎監督に負けず劣らずといったところで、かなり有名な作品を残していますよね!
山崎貴・佐藤嗣麻子の夫婦には子供はいるのか
映画監督夫婦の間に子供がいるのか、気になりますよね!
もしいれば映画監督としてすごく優秀な人材になることは間違いないでしょう!
現在の段階で子供がいるのかどうか、公表はされていません。
ですが、残念ながら2人の間には子供はいないことが予測されます。
2人が結婚されたのが2012年。2人とも同じ1964年生まれですので、年齢で言うと48歳のときに結婚されたということになります。
48歳からだと出産は難しいと思うので、子供は産まないという意思があったのかもしれませんね。
2人共、映画監督や脚本家としてかなり有名ですので、忙しいでしょうし、子供を産んでしまったら、仕事が思うようにできなくなってしまうなどの理由もありそうです。
まとめ
今回は山崎貴さんについて調べてきました。
- 山崎貴さんは長野県トップクラスの高校に通っていた
- 東京にある美術の専門学校を経て、映像会社に入社
- 妻の佐藤嗣麻子さんとも専門学校で出会い結婚、夫婦で映画監督をしている
山崎貴さんと佐藤嗣麻子さんの映画監督夫婦は、これからもいろいろな作品を作ってくれるでしょう!
どんな作品を世に生み出してくれるのか、楽しみに待ちましょう!
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